建築の三つの段階
第一段階は1479年、ルイ11世の時代に始まり、街を監視するためだけに建設された大きな塔と二つの半塔は、街の外壁の内側を背にしていました。建設は素早く、また低費用で、この城は、ボーヌ市民を厳重に監視するためだけに造られました。実際、弓引き用の穴も、街に向けられていたのでしょうか?
第二段階の工事は、シャルル8世の時代に、この建物の形を変えることなく補強することでした。バタイエ門を改善し、周りに堀を造り、その上に木製の固定された橋を付け直しました。
最後の第三段階は1494年頃、ルイ12世の時代に、外側に拡大し、内側の面積を倍に増やすという防御手段の新しい考え方を用いられました。新しい図面では、バタイエ門が存在するにもかかわらず、その外側に壁ができることになり、問題があるようにみえますが、新しい外壁を全て閉じるわけではないので、存在する理由になりえます。その時以降、ボーヌ市民への監視は緩やかになり、ディジョン街道とスール街道の重要性が増したそうです。
ヴォーバンの見地では、合計300000リーヴルもの額に達したこの要塞は、軍事的防御体制の文字通りの傑作とのこと。建築構成の外観は、塔や城の幕壁に、運命の輪(合計56個あった)やハリネズミ(当初は29個)の彫刻装飾、ルイ12世のシンボルである冠を戴くLの文字(おそらく25個)、ルイ12世の妻、アンヌ・ド・ブレターニュの頭文字のAが二匹のイタチに囲まれている装飾や動物の形をした雨どい等が付け加えられていました。しかし、大部分はフランス革命の際に壊されてしまい、また王であることを思い起こさせるものはすべて、残酷にも略奪されてしまいました。監視用の街に向いている二つの塔に関しては、塔壁にある銃眼しか装飾はありませんでした。
その起源
建築の三つの段階
シャトーの見取図